真宗の教え「念仏もうさるべし」という一言を私達一人ひとりがその教えに出会う日が年の始めの最初の法要です。初詣といって神社に参拝する方もおりますが、一年の始まりは、先ずお手次のお寺にお参りして、み教えを聴聞しましょう。平常のお荘厳(おかざり)と違うところは、お内仏に「鏡もち」をお供えし、打敷(三角形の布)を上卓と前卓にかけます。真宗の考え方では喪に服することがありませんので、お身内の方がお亡くなりになったお宅でも、お荘厳(おかざり)をきちんとして、家族や有縁の方と一緒にご本尊にお参りいたしましょう。「鏡もち」は四日目に下げます。
修 正 会
春分、秋分の日をお中日として勤められる法要。彼岸とはパーラミター(波羅蜜多)の意味で、迷いのこの岸(此岸)から悟りの彼岸に到る事を意味し、この日に太陽が真西に沈むことから、弥陀の浄土を思うのに最もふさわしい日。昨今の価値観に振り回され、勝った負けたで明け暮れし、落ち込んでみたり、得意になって人を見下すようにさえなっている私の姿を映し出し、西方浄土の阿弥陀の悲願に目を向ける日です。浄土とは極楽浄土のことで、阿弥陀如来の仏国土ですから、この日はお墓参りするだけでなく先祖をご縁に、み教えを聴聞すべき日です。
彼 岸 会
永代法要とは、永代にわたり仏教の教えが伝えられることを意味します。そのためには、寺院を護っていく必要があり、いままでお寺を護って来た人々を追慕し報恩を感謝し私達が聞法のご縁を頂く法要です。わが家のお寺を護ることです。
永 代 法 要 会
「仏説盂蘭盆経」というお経の教えに由来します。この経は、釈尊のお弟子目連尊者の物語です。目連尊者は神通力の達人であって亡き母親を懐かしんで、神通力によって母親を観察すると、母親が餓鬼道の苦しみを受けていることがわかり、尊者は神通力を尽くして母親を救おうとしたが、尊者の力では救えなかった。そこで尊者は、釈尊に教えを請い、釈尊は「さまざまな供養の品をととのえて修行僧に供養するがよい」と教えられた。尊者はその教えのとおりに供養すると、その供養の功徳によって、母親は直ちに餓鬼の苦しみから逃れることが出来ました。これがお盆の行事となったのです。他宗においては先祖の追善供養として営まれていることが多いです。しかし、真宗においては先祖はすでに往生していると説いているので、追善供養ではなく、亡き父母や先祖にたいする感謝の法要です。お荘厳をきちんとして、家族や有縁の方と一緒にご本尊にお参りいたしましょう。
盂 蘭 盆 会
私たち真宗門徒が宗祖と仰ぐ親鸞聖人は、1262(弘長2)年11月28日に、その生涯を終えられました。宗祖が果たされたお仕事の大切さを讃え、恩德に感謝し報いるためのお勤めが報恩講です。一人ひとりが自らの生活を振り返り、宗祖の教えの意義を確かめる、一年で最も大切な御仏事です。聖人の御生涯は「つねに念仏の息たえましましおわりぬ」と、まさに念仏に貫かれたものでした。現実社会を生きていくなかで、本願念仏の教えをかけがえのないものとして確かめる機縁として、私たちは報恩講を大切におつとめしていきたいものです。
報 恩 講
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勉 強 会 寺 由 寺 在
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